卓球指導のボランティア活動が地元の「タウンマガジン筑後」に4ページに渡って掲載されました #146

自分語り

きっかけ

私は、税理士兼中小企業診断士として活動する傍ら、ボランティアでジュニア(幼児、小学生、中学生)に卓球の指導をしています。

今般、タウンマガジン筑後から、2021年2月、筑後市役所からの紹介として、私へのインタビューの申し込みがありました。同誌は、筑後市内に15,000部配付されているそうで、私も何度も観たことがあります。

4月15日号に掲載予定とのことでした。ジュニアの宣伝にもなるし、特に断る理由もなく、取材に応じました。

対談シリーズ第72回「筑後に人あり」 筑後ジュニアTTC コーチ 田中耕一氏

卓球は、古代のテニスをもとに19世紀後半にイギリスで考案されました。最初のボールはコルク製でしたが弾きが悪く、セルロイド製に改良されると適度な反発力が得られるようになりアッという間に世界中に普及しました。その後、ボールはプラスチック製に変わり試合形式も大幅にスピードアップしています。ピンポンから卓球(テーブルテニス)へと呼び名も変わり、日本には明治の後半から普及が始まりました。そして戦後間もない1952年の世界卓球選手権で女子団体、男子シングルス、男女ダブルスの4種目で優勝し、日本の卓球の黄金時代の口火を切りました。その後は少し低迷しますが、今年開催予定の東京オリンピックでは伊藤美誠選手や張本智和選手などが金メダルも狙えるほどに急成長しています。今号の対談は筑後ジュニアテーブルテニスクラブ(以下:筑後ジュニアTTC)の代表コーチとして地元の子供達に卓球の指導をされている田中耕一コーチと87歳になられても卓球をこよなく愛する田中コーチの母の洋子さんにも同席いただいてお話を聞かせていただきました。

中学2年の秋、担任の先生から勧められて入った卓球部が卓球との出会い

竹田)田中さんは8年前に筑後ジュニアTTCを設立し、代表コーチとして小中学生を指導されています。そして筑後卓球センターの運営管理もされていますが、卓球はいつから始められたんですか?

田中コーチ)私は筑後市で生まれ育ち地元の小中高の学校を卒業しています。中学校は羽犬塚中学に通いましたが、部活には所属していませんでした。中学2年の夏休みが終わった頃、担任の先生が卓球部の顧問だった事もあり、私に卓球部に入るように勧めてくださったのが卓球を始めたキッカケです。中2の秋から始めたので試合には殆ど出ていません。今となって思うと、その時の担任の先生から卓球部への入部を勧められなかったら、今のように子供達に卓球の指導などしていなかったと思います。

竹田)卓球との出会いは中学2年の秋ですか。少し遅め目の卓球開始でしたね。それでも高校に入っても卓球は続けられたんでしょう?

田中コーチ)はい。短い期間で不完全燃焼でしたので、八女高校に入学し、すぐに卓球部に入部しました。すると、先輩たちが凄く頑張っておられて、進学校の割には成績も良く県大会には連続で出場するような強い高校でした。そんな先輩たちに引っ張られて私も県ランキングに入り九州大会に出場できるほどになりました。八女高校卒業後は、福岡国税局に採用されました。最初の赴任地は久留米税務署で、4年間勤務しました。就職しても八女高校の先輩後輩たちと八女高校OBのチームを結成し、時間を見つけては練習したり、社会人の卓球大会に出場したりしていました。しかし税務署は転勤が多く、福岡県外では長崎県や熊本県、九州から離れて東京や名古屋にも転勤になりました。それでも転勤先で卓球のクラブチームに参加して、時間を見つけて練習したりしていました。

竹田)卓球を始められたのは中学2年からですが、その後は社会人になっても卓球を続けておられたんですね。

長男が中学で卓球部に入部。子供達に指導する切っ掛けとなる

田中コーチ)卓球クラブは全国各地にありますし、一人で行っても誰かが相手をしてくださるので、生涯続けやすいスポーツです。だから独身時代は転勤先でも時々ラケットを握って楽しんでいました。私は28歳で結婚し、その当時は福岡市城南区の公務員宿舎を住まいにしていました。やがて子どもが3人(長男、二男、長女)できました。長男が中学に進学すると卓球部に入ったと言うので、それなら近くの体育館に行って練習しようと、ときどき二男も入れて練習するようになりました。すると小学5年だった二男の友達も卓球をやりたいと練習に来るようになり、小2の長女もその中に入ってきました。それなら小学生のクラブを作ろうと思い立ち「田島フレンズ」というチームを2002年の10月に結成しました。田島フレンズはその後も入会者が増えて最大で20人程になりました。しかし私が2008年の7月に名古屋に転勤になったのを期に指導者がいなくなりチームは残念ながら解散しました。

竹田)長男さんが卓球を始めたことで今度は指導者として卓球に携わるようになったんですね。3人のお子さんはその後も卓球を続けられていますか?

田中コーチ)長男と二男は中学までで卓球は辞めました。娘は高校まで卓球を続け、全国大会に出場したこともあります。名古屋には単身赴任で転勤し、2年後の2010年に福岡に戻ってきました。私は田中家の長男なのでいずれ両親の傍に戻ると決めていたので2012年に筑後市の実家に戻ってきました。筑後に戻って少し落ち着くと卓球熱が再燃し、子供達に卓球を教えたいと思うようになりました。そこで筑後市の広報誌にジュニア卓球チームを結成するのでメンバー募集の広告を出してもらいました。すると4人の小学生が集まり窓ヶ原体育館で練習を始めました。暫くはこの体育館で子供達に指導していたんですが、2017年に父の正之が飛んでもない計画を打ち出しました。

竹田)長男の田中さんが実家に戻られて、お父さんも一安心だったと思いますが、どのような計画だったんですか?

父、正之の思いが詰まった筑後卓球センター

田中コーチ)これから先は母の洋子が話します。

田中コーチ母)主人の正之は一昨年の2019年8月16日に癌で他界しました。高齢になった主人は車の運転が不安と言って10年前の2011年に自ら運転免許を返納しました。私は車の運転には安全運転を常に心がけているので免許の返納は全く考えていませんでした。主人は免許を返納しているので二人でどこかに行く時には主人は助手席です。助手席に乗って私の運転が不安に思ったのでしょう「お前も免許を返納しなさい」と言います。私は50歳から卓球を始めて87歳になった今でもラケット握って友達とボールを打ち合うのが唯一の楽しみです。免許を返納すると練習や試合に行くのも不便になります。だから何度も断っていると「自宅横の敷地に卓球場を建てる」と言い出しました。

竹田)先ほど田中コーチが話された、飛んでもない計画とはこの事なんですね。

田中コーチ母)そうです。その敷地は色々な野菜を作っていた100坪程の畑でした。主人は「ここに練習場を建てると、お前が練習に行かんでも友達がここに練習に来てもらえるだろう」と言って、反対しても頑として聞きません。結局、私も息子の耕一も主人の計画に折れてしまいました。

竹田)しかし立派な卓球場で5卓の卓球台が並び、奥行きや天井の高さも充分なのでいつでも練習ができますね。

田中コーチ母)2017年の秋から工事を開始して翌年の2018年6月に完成しました。ところが卓球場が完成した翌年に主人は逝ってしまいました。卓球場が完成して主人と一緒に毎日のように練習したことが今では良い思い出になっています。

竹田)念願の卓球場が完成して、夫婦で練習できて、ご主人もさぞ喜んでいたでしょうね。これからも卓球を楽しもうという矢先に亡くなられて本当に残念でしたね。

ところでこの卓球場が完成して「筑後ジュニアTTC」の練習拠点はここになったんでしょう?

試合に勝って涙を流す子供を育てていきたい

田中コーチ)はい。ここは筑後卓球センターと命名して「筑後ジュニアTTC」の練習を月曜と水曜は午後7時から9時までの2時間。土曜日は午後2時から5時まで行っています。他にも、いくつかのチームの皆さんが定期的に練習されています。また、どなたでも利用できますので、家族や友人と楽しむほか、職場の卓球大会などに利用していただいています。

竹田)筑後ジュニアTTCのメンバーは現在何名おられますか?

田中コーチ)現在、小学生8人、中学生が4人の12名です。このメンバーを、私を含めて3人のコーチがボランティアで指導をやっています。施設利用料と道具代は要りますが、指導料はいただいていません。私は昨年で税務署を定年になり自宅横に税理士事務所を開設して税務相談なども受けています。今後は時間もタップリあるので子供達と一緒に卓球を楽しみたいと思います。

竹田)これからも小学生を中心としたジュニアの子供達の指導に励まれると思いますが、子供達を指導するにあたって大切にしている事は何かありますか?

田中コーチ)やはり練習の成果を試合で発揮して、勝つ喜びを味あわせてあげたいですね。負けて泣く子や勝って泣く子もいますが、負けて泣くのはまだまだ練習が足りないと思っています。勝ってから泣くのは、真剣になって練習したから勝てたんだと自然に涙が溢れ出てくると思います。子供達にそんな感動を体験して欲しいですね。もちろん卓球の楽しさも教えていくつもりです。

竹田)人格形成される年代のこどもたちですから、スポーツを通じて心構えを学ぶいい機会になりますね。ゴルフやテニスはある程度の体格ができてこないと難しい面もありますが、卓球は幼少期から始められそうですし、また、お母さまのように生涯スポーツとしても適していると思います。筑後卓球センターの益々のご発展をお祈りします。本日はありがとうございました。

プロフィール

たなか こういち

【生年月日】

  • 昭和35年3月27日生(61歳)

【経歴】

  • 昭53年 福岡県立八女高等学校卒
  • 同年 福岡国税局入局
  • 平成30年 筑後卓球センター開設
  • 令2年 長崎税務署長を最後に退官
  • 同年 田中耕一税理士・中小企業診断士事務所を開設

【家族】

  • 妻、母
  • 長男(愛知)、二男(神奈川)、長女(福岡)

【趣味】

  • ゴルフ(月に二度ほど税理士仲間と楽しんでいます。)
  • 読書(司馬遼太郎のファンです)
  • フルマラソン(完走を目標にしてゆっくり走っています。)

【座右の銘/好きな言葉】

  • 「人に善くせよ」(父の口癖でした)この言葉を事務所や部屋に飾っています。

【編集後記】

11月14日に開催される福岡マラソンにエントリーしました。コロナの状況では中止になるかもしれませんが、走るのはあまり好きではない私は、目標がないとトレーニング(ランニング)をサボる性格なので、開催計画は有り難いです。

今まで「大会で5時間30分を切ったら引退する」と決めてやってきましたが(現在の記録は5時間45分)、せっかくなら「5時間切るまで」と目標を上方修正し、「4時間台で完走したことがある」という自慢話をするためにトレーニングに励んでおります。

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